檸檬 梶井基次郎

京都で、病弱で美意識の高い教養ある若者が、丸善に入り画集で城を作り、その上に檸檬を置いて出てくる。そして檸檬を爆弾だと空想して街を歩く。

 

檸檬は、一度読んだら、忘れられない物語だ。感動して泣く、深く心を揺さぶられるとかはない。でも忘れられない。本の上に檸檬が置かれた映像が頭に残る。

この時代の文学にしては、頭に映像が浮かぶ文章だと思う。京都ではない場所に来ていると自分を錯覚させる際に、想像の絵具を塗りつけてゆくとあるが、著者は、色や光に敏感だったのだろう。その後の、主人公が好きだと言う、花火、おはじき、キリコ細工、香水瓶も、その多彩な色に惹かれている。

 

例えば、次の文章のように、色と形が頭に浮かぶ文章で書かれている。

「裸の電燈が細長い螺旋棒をきりきり目の中へ差し込んでくる往来に立って、」

「見わたすと、その檸檬の色彩はガチャガチャした色の諧調をひっそりと紡錘型の身体の中へ吸収してしまって、カーンとさえかえっていた。」

 

そして、タイトルにもなっている檸檬も、重要な色と形を表している。檸檬の黄色とその形は、作者が好きな色であったのだろうし、読者にも否応がなく映像を脳に投影させる。

 

結局、この世界は、自分の脳に浮かぶ映像でしか認識することができず、それをバクらせてしまえば自分にとっての世界は変えられるということをこの時代に表現していた。色や形に敏感で、世界の認識を良く分析し、理解しているからこそ書けた作品なのだろう。